第6代横綱 阿武松 緑之助 ( おうのまつ みどりのすけ ) タイム-ライン
基本情報
最高位 | 大関 |
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本名 | 佐々木 長吉 (常吉) ? |
生年月日 | 寛政3年 |
出身地 | 石川県 |
身長 体重 | 173.0センチ 135.0キロ |
所属部屋 | 武隈 |
改名歴 |
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初土俵 | 文化12年三月 |
引退場所 | 天保6年十一月 |
江戸で武隈文左衛門に弟子入りして小車と名乗り、その後錣山喜平次の弟子となって小緑と称し、さらに小柳長吉と改名、文化12年冬場所に東方序ノ口で張り出される。長州藩主・毛利斉熙のお抱え力士となり、扶持米50俵を給せられる。文政5年(1822)には入幕を果たし、文政7年(1824)に小結、翌8年(1825)に関脇、9年(1826)に大関と昇格し、10年(1827)には阿武松緑之助と改名した。
稲妻雷五郎と競い合って文政から天保にかけての相撲人気を盛り上げ、文政11年(1828年)に吉田司家から横綱免許を授与された。これは、5代横綱小野川喜三郎引退以来約30年ぶりの横綱就任となった。 1835(天保6年)に引退し、1851年(嘉永4年)に江戸で没し、深川浄心寺に眠る。
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