第7代横綱 稲妻 雷五郎 ( いなづま らいごろう ) タイム-ライン
基本情報
最高位 | 大関 |
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本名 | 根本 才助 |
生年月日 | 享和2年 |
出身地 | 茨城県 |
身長 体重 | 179.0センチ 150.0キロ |
所属部屋 | 佐渡ヶ嶽 |
改名歴 |
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初土俵 | 文政4年二月 |
引退場所 | 天保10年十一月 |
佐渡ヶ嶽部屋へ入門後に錦嶋部屋へ移籍し、松江藩抱えの力士となった。 1821年2月場所、「槇ノ嶌」の四股名で幕下から初土俵を踏む。1824年10月場所で新入幕を果たすと同時に「稲妻」に改名すると、その場所では7勝1預2休の好成績を挙げ、1825年1月場所では小結に昇進する。その後もトントン拍子に出世していき、1827年には大関へ昇進した。看板大関ではなく、平幕1場所・小結2場所・関脇3場所を務めた後の大関昇進は異例の速さで、雷電爲右エ門をも凌ぐほどである。 1828年に京都・五条家から紫の廻しと注連縄、1829年には吉田司家から横綱免許を授与された。これによって両者の間で紛争が起きたが、徳川家斉の上覧相撲に際して阿武松緑之助とともに横綱土俵入りを披露する必要が生じたため、最終的には吉田司家側が折れる形で決着が付き、1830年には横綱免許が正式に授与された。その後は阿武松緑之助と競い合って江戸時代後期の相撲黄金時代を築き上げた。
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