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第29代横綱 宮城山  福松  ( みやぎやま  ふくまつ  ) タイム-ライン

基本情報

最高位 横綱
本名 佐藤 福松
生年月日 明治28年2月27日
出身地 岩手県
身長 体重 174.0センチ 113.0キロ
所属部屋 高田川
改名歴 大正3年五月 宮城山 福松
大正2年一月 宮木山
明治43年六月 岩手川
初土俵 明治43年六月
引退場所 昭和6年三月
岩手県西磐井郡(現:岩手県一関市)山目町出身。第29代横綱。

幼少期から大きな体格で、家業だった乗合馬車と農業を手伝いながら村相撲で活躍していたところ、1909年に常陸山谷右エ門の一行が岩手へ巡業に来た際に力士に憧れ、志願して入門した。

同年6月場所において、故郷・岩手県に因んだ「岩手川」の四股名で初土俵を踏んだ。1912年5月場所にて三段目に昇進すると、床山に対して当時は許されていた大銀杏を結ってもらって喜んでいた。そこへ幕下力士だった九州山十郎がやって来て岩手川の大銀杏姿を一目見るや「この野郎!生意気だ!」と殴られ、岩手川は当場所限りで脱走した(表面上は「病気を理由に帰郷」とされた)。
しかし相撲への情熱が冷めることはなく、さらに岩手川の素質を惜しんだ出羽ノ海の勧めで高田川部屋(大坂相撲)へ加入し、「宮木山」(のち「宮城山」)と名乗って幕下から再出発した。1916年6月入幕、1917年1月に関脇昇進、1月場所後大関に昇進。玄人受けする技巧派の取口には定評があり、大関在位は10場所。1921年3月に開催された東京相撲との東西合併興行の初日に因縁の九州山との対戦が組まれ、これに勝利したが、支度部屋から部屋へ帰る直前に羽織・袴姿の九州山が訪ねて来て昔の無礼を詫びたため、真意を受けて和解の握手を行った。

1922年に大坂相撲の力士としては4人目となる横綱免許が、吉田司家から授与された
ところが、宮城山が横綱に昇進する直前に瘭疽を発症し、以降は休場が続く。特に1923年 - 1925年までの成績は7勝2敗1分50休で、さらに1923年9月1日に発生した関東大震災で旧・両国国技館を失って苦しむ東京相撲との合併の話が持ち上がり、番付統合を行うための合併場所が1925年 - 1926年に開催された。この合併場所において大坂相撲の力士は東京相撲の力士より力量が劣ることが判明し、大坂相撲で大関を務めた荒熊谷五郎は前頭9枚目、錦城山勇吉は前頭10枚目に置かれてしまい、一人だけ東京相撲の力士と互角に対戦できた真鶴秀五郎は前頭筆頭となった。

大坂相撲では圧倒的な強さを誇っていた大関陣が東京相撲の力士と対戦して敗れ、前頭下位に据え置かれる状況に、宮城山の東京相撲の力士に対する実力も周囲から不安視されていた。さらに宮城山は、横綱昇進直前から昇進直後にかけて休場ばかりが目立っていたため、正式な横綱とは言えども周囲の不安は募るばかりだった。その不安は的中し、宮城山の実力は合併場所通算3回の出場で11勝10敗と散々な成績で「小結程度」と判定された。それでも、宮城山は大坂相撲時代に吉田司家から横綱免許が授与された正式な横綱であることから格下げすることが出来ず、やむを得ず「張出横綱」として編入させた。
なお、これによって大坂相撲が消滅したため、宮城山は大坂相撲で最後の横綱となった。

大坂相撲と東京相撲が合併してから初の本場所開催となった1927年1月場所では、常ノ花寛市に敗れただけの10勝1敗で幕内最高優勝を達成し、次の同年3月場所では千秋楽に常ノ花の全勝を阻み、大坂相撲の面目を保った。しかし、持病の瘭疽は完治しないまま、1928年10月場所において9勝2敗で2度目の優勝を果たしたのを最後に賜盃を抱くことが出来ず、1931年1月場所は初日から藤ノ里栄藏・新海幸藏・玉碇佐太郎・山錦善治郎と4日連続で金星を献上する事態となり、さらに3度目となる皆勤負け越し(5勝6敗)を記録、この場所が最終出場となった。

大阪相撲時代

十両昇進以降の成績を示す。

場所 地位 成績 備考
大正4年(1915年)1月場所 西十両4 4勝4敗1分1預
大正5年(1916年)1月場所 西十両2 8勝1敗1休
大正5年(1916年)6月場所 東前頭7 8勝1敗1預
大正6年(1917年)1月場所 東関脇 8勝1敗1預
大正6年(1917年)5月場所 西大関 7勝1敗2預
大正7年(1918年)1月場所 東大関 10休
大正7年(1918年)5月場所 西大関 8勝2敗
大正8年(1919年)1月場所 東大関 6勝3敗1預
大正8年(1919年)5月場所 東大関 7勝2敗1休
大正9年(1920年)1月場所 東大関 8勝1敗1分 優勝相当
大正9年(1920年)5月場所 西大関 6勝3敗1預
大正10年(1921年)1月場所 西大関 2勝4敗1分3休
大正10年(1921年)6月場所 西大関 8勝2敗 優勝相当(2)
大正11年(1922年)1月場所 東大関 10勝0敗 優勝相当(3)
大正11年(1922年)5月場所 東横綱 7勝1敗2分
大正12年(1923年)1月場所 東横綱 10休
大正12年(1923年)6月場所 横綱 10休 東西なしの片番付
大正13年(1924年)1月場所 東横綱 2勝0敗8休
大正13年(1924年)5月場所 東横綱 10休
大正14年(1925年)1月場所 東横綱 4勝2敗1分3休
大正14年(1925年)6月場所 東横綱 1勝0敗9休
大正15年(1926年)1月場所 東横綱 9勝1敗 優勝相当(4)

戦歴   休=休み ム=無効 預=預かり 分=引き分け

(「無効」「預かり」「引き分け」は現在はありません)

戦歴 勝率 休ム預分 取組 在位場所
生涯 104 75 0.581 27休 1分 175 23
幕内 90 69 0.566 27休 1分 155 18
2優勝  1準優勝  0技能賞  0敢闘賞  0殊勲賞  0金星 
横綱 90 69 0.566 27休 1分 155 18
2優勝  1準優勝 
大関 0 0 0.000 0休 0 0
0優勝  0準優勝 
関脇 0 0 0.000 0休 0 0
0優勝  0準優勝  0技能賞  0敢闘賞  0殊勲賞 
小結 0 0 0.000 0休 0 0
0優勝  0準優勝  0技能賞  0敢闘賞  0殊勲賞 
前頭 0 0 0.000 0休 0 0
0優勝  0準優勝  0技能賞  0敢闘賞  0殊勲賞 
十両 0 0 0.000 0休 0 0
0優勝  0準優勝 
幕下 0 0 0.000 0休 0 0
0優勝  0準優勝 
三段目 3 2 0.600 0休 5 1
0優勝  0準優勝 
序二段 7 3 0.700 0休 10 2
0優勝  0準優勝 
序ノ口 4 1 0.800 0休 5 1
0優勝  0準優勝 
前相撲 1場所