雪見山 鉄右エ門 ( ゆきみやま てつえもん ) タイム-ライン
基本情報
最高位 | 大関 |
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本名 | |
生年月日 | |
出身地 | 佐賀県 |
身長 体重 | 0.0センチ 139.0キロ |
所属部屋 | 竹嶋 |
改名歴 |
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初土俵 | 宝暦7年十月 |
引退場所 | 安永6年四月 |
日本相撲協会により初代大関として認定されている人物である。 肥前田代(現・佐賀県鳥栖市田代町)の出身。体重は37貫(139kg)あり、当時としては大型の力士である。当初は響野と名乗り、肥後の竹島甚四郎の門弟となる。後に雪見山と改め、熊本藩(当初の名称は肥後藩)の大名お抱え力士となる。 剛力で、右を差せば無敵であったと伝えられ、宝暦6年(1756年)に上方(京・大坂)に初上りして江戸には宝暦7年(1757年)10月に東大関として番付に登録される。大関を務めたのはこの場所限りであったが、以後も常に番付は上位に在り、明和8年(1771年)の京都興行の時に達ヶ関森右衛門(後の第4代横綱である2代目 谷風梶之助)を見事な掬い投げで破り、評判となる。 引退間際の安永4年(1775年)3月に下の名前を鉄右衛門と改名し、引退後は九州相撲の頭取となり、八ツヶ峰住右衛門・筆ノ海金衛門らを門下に従え、育成した。 |