第16代横綱 西ノ海 嘉治郎 ( にしのうみ かじろう ) タイム-ライン
基本情報
最高位 | 横綱 |
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本名 | 小園 嘉次郎 |
生年月日 | 安政2年1月3日 |
出身地 | 鹿児島県 |
身長 体重 | 176.0センチ 127.0キロ |
所属部屋 | 高砂 |
改名歴 |
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初土俵 | 明治15年一月 |
引退場所 | 明治29年一月 |
子供の時から土地相撲で活躍してから京都相撲へ加入、小結まで昇進したが、1881年に高砂改正組の巡業に参加した後に東京の高砂部屋へ入門、1882年1月場所に「西の海」として幕内付出で初土俵を踏む。大坂相撲の大関であった初代梅ヶ谷が本中から取らされたことを考えると異例の厚遇であった。同年6月場所から西ノ海嘉治郎(初代)を名乗り、1885年1月に大関へ昇進する。2場所務めた後に一度小結まで陥落するが、負け越しによる陥落ではないため、全くの興行上の都合だった。
1890年1月に大関へ復帰し、その場所後に吉田司家から横綱免許を授与される。大関復帰からたった1場所でしかも抜群と言える成績ではなかったため、この横綱免許授与は物議を醸した。新横綱の場所となった1890年5月場所は前場所成績では張出大関並みだったものの、横綱免許を受けた西ノ海自身が張出となることに対して不満を表明したため、番付に相撲史上初めて「横綱」と明記された。これ以降、「横綱」は名誉ではなく地位として見なされていくようになる。 1896年1月場所を最後に現役引退し、年寄・7代井筒を襲名した。襲名後は独立して井筒部屋を創立し、西ノ海嘉治郎(2代)・駒ヶ嶽國力・大江山松太郎・逆鉾与治郎を育成した。1908年11月30日に死去、53歳没。
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