第24代横綱 鳳 谷五郎 ( おおとり たにごろう ) タイム-ライン
基本情報
最高位 | 横綱 |
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本名 | 瀧田 明 |
生年月日 | 明治20年4月3日 |
出身地 | 千葉県 |
身長 体重 | 174.0センチ 113.0キロ |
所属部屋 | 宮城野 |
改名歴 |
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初土俵 | 明治36年五月 |
引退場所 | 大正9年五月 |
千葉県印旛郡大森村(現:千葉県印西市大森)出身。第24代横綱。 1903年5月場所で初土俵を踏む。当時の四股名は「大鳥」で、1908年1月場所より「鳳 谷五郎」と名乗る。 1909年1月場所で新入幕を果たすと、開催場所が回向院から旧・両國國技館での本場所開催へ変更されたため、國技館開館前最後の幕内力士の1人となった。新入幕の初日にはいきなり駒ヶ嶽國力との割が組まれるが勝利したことで快進撃を続け、2度に渡って三役に昇進するがいずれも1場所で跳ね返され、1912年5月場所に関脇で7勝1敗2分の成績を収めると、1913年1月場所で大関へ昇進した。 大関2場所目の1913年5月場所には7勝1敗1分で初優勝、1914年5月場所は途中休場するが、1915年1月場所に全勝優勝を果たす。 1915年1月場所が終わった後に横綱問題が発生し、昇進の話を聞いた吉田司家からは「時期尚早、1場所保留」の声もあったが、協会の強引な押し切りで横綱免許が授与され、土俵入りに用いる太刀は大隈重信から贈られた。 ところが横綱昇進後は足の負傷や糖尿病などで思うように活躍できず、特に後援者の重宗芳水(明電舎社長)が死去してからは心労からか衰えが顕著となり、1919年5月場所には3勝6敗1休と皆勤で負け越してしまった。横綱が本場所で皆勤負け越しを受けたのは史上初の不名誉記録で、その後も再起できないまま1920年5月場所の全休を最後に現役を引退した。 |