第4代横綱 谷風 梶之助 ( たにかぜ かじのすけ ) タイム-ライン
基本情報
最高位 | 大関 |
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本名 | 金子 与四郎 |
生年月日 | 寛延3年8月8日 |
出身地 | 宮城県 |
身長 体重 | 189.0センチ 161.0キロ |
所属部屋 | 伊勢ノ海 |
改名歴 |
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初土俵 | 明和6年四月 |
引退場所 | 寛政6年十一月 |
第4代横綱だが、実質的な初代横綱。江戸時代の大横綱で、大相撲史上屈指の強豪。また、力量・人格の面で後の横綱の模範とされた。 1778年(安永7年)3月場所初日から1782年(天明2年)2月場所7日目まで、分・預・休を挟みながら江戸本場所で土付かずの63連勝(止めたのは小野川喜三郎)、さらにその後43連勝を記録した。この63連勝は、約150年後に双葉山定次が69連勝を達成するまで最多連勝記録保持者だった。 しかし、この63連勝は江戸本場所だけの連勝記録で、京都本場所・大坂本場所の成績も含めた場合は、1782年2月場所8日目から1786年3日目まで98連勝を達成していることとなる。 幕末までは江戸・京都・大坂のレベルはそれほど差が無く、さらに江戸 - 京都 - 大坂間の力士の往来と各場所の交流は自由だったものの、一般的に連勝記録とは「江戸本場所の63連勝」を指す。しかし、江戸・京都・大坂まで含めた98連勝は最多連勝記録で、現在でも未だに破られていない。この98連勝は間に「5分・5預・3無」を含んでいるため、双葉山のように完全に白星だけを連ねた連勝では無い。もし、「分・預でも連勝は中断される」とする解釈であれば、谷風の連勝は23に留まる。 ただし当時は現在のような取り直しの制度がなかったためでもあり、逆に双葉山が江戸時代の力士であれば瓊ノ浦戦での物言い相撲や、玉錦との水入りによって69連勝が中断していたことになる。それでも、谷風は江戸・京都・大坂を通じて80連勝以上を2回記録しており、連勝においては他の追従を許さない圧倒的な記録を保持している。ちなみに、江戸本場所の連勝記録を63で止められた小野川喜三郎との取り組みに勝利していれば、江戸・京都・大坂を通じて183連勝になっていた。 1795年(寛政7年)1月9日、江戸全域で猛威を奮ったインフルエンザによって、35連勝のまま現役死した。44歳没。
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戦歴 休=休み ム=無効 預=預かり 分=引き分け
(「無効」「預かり」「引き分け」は現在はありません)
戦歴 | 勝 | 負 | 勝率 | 休ム預分 | 取組 | 在位場所 |
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生涯 | 258 | 14 | 0.949 | 112休 5ム 16預 16分 | 272 | 49 |
幕内 | 258 | 14 | 0.949 | 112休 5ム 16預 16分 | 272 | 49 |
0優勝 0準優勝 0技能賞 0敢闘賞 0殊勲賞 0金星 | ||||||
横綱 | 0 | 0 | 0.000 | 0休 | 0 | 0 |
0優勝 0準優勝 | ||||||
大関 | 113 | 5 | 0.958 | 73休 4ム 4預 5分 | 118 | 22 |
0優勝 0準優勝 | ||||||
関脇 | 85 | 3 | 0.966 | 25休 5預 6分 | 88 | 14 |
0優勝 0準優勝 0技能賞 0敢闘賞 0殊勲賞 | ||||||
小結 | 37 | 2 | 0.949 | 4休 1ム 5預 4分 | 39 | 7 |
0優勝 0準優勝 0技能賞 0敢闘賞 0殊勲賞 | ||||||
前頭 | 23 | 4 | 0.852 | 10休 2預 1分 | 27 | 6 |
0優勝 0準優勝 0技能賞 0敢闘賞 0殊勲賞 | ||||||
十両 | 0 | 0 | 0.000 | 0休 | 0 | 0 |
0優勝 0準優勝 | ||||||
幕下 | 0 | 0 | 0.000 | 0休 | 0 | 0 |
0優勝 0準優勝 | ||||||
三段目 | 0 | 0 | 0.000 | 0休 | 0 | 0 |
0優勝 0準優勝 | ||||||
序二段 | 0 | 0 | 0.000 | 0休 | 0 | 0 |
0優勝 0準優勝 | ||||||
序ノ口 | 0 | 0 | 0.000 | 0休 | 0 | 0 |
0優勝 0準優勝 | ||||||
前相撲 | 0場所 |