第13代横綱 鬼面山 谷五郎 ( きめんざん たにごろう ) タイム-ライン
基本情報
最高位 | 大関 |
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本名 | 田中 新一 |
生年月日 | 文政9年 |
出身地 | 岐阜県 |
身長 体重 | 184.0センチ 140.0キロ |
所属部屋 | 武隈 |
改名歴 |
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初土俵 | 嘉永5年二月 |
引退場所 | 明治3年十一月 |
1826年に、美濃国鷲巣村(現:岐阜県養老町)で農家を営む家に生まれる。石を運ぶ人足として奉公に出ているうちに力量が増し、武隈部屋に入門した。 1852年2月場所で濱碇の四股名で初土俵を踏むと、1853年2月場所で彌高山へ改名、1857年1月場所で新入幕を果たし、「鬼面山 谷五郎」に改名した。この頃に徳島藩の抱え力士として、陣幕久五郎・大鳴戸灘右衛門・虹ヶ嶽杣右衛門と共に「阿波の四天王」と称された。しかし、その後に陣幕が松江藩、薩摩藩の順に鞍替えしたため、1867年4月場所7日目の対陣幕久五郎戦は「遺恨試合」のような様相を呈した。また、1865年11月場所3日目に前頭・両国梶之助(伊勢ヶ濱)との取組が行われたが、仕切り直しが二時間ほど続いた後に痛み分けとなる事態が発生した(後に「仕切り返し」と呼ばれる大一番)。 1869年2月場所で吉田司家から明治時代で最初となる横綱免許が授与されたが、既に43歳と高齢で、これは歴代横綱の中で2013年現在でも最高齢である。そのせいか横綱としては長く土俵を務められず、1870年11月場所限りで現役を引退した。横綱の特権として一代年寄「鬼面山谷五郎」が贈られるも、引退から1年も経たない1871年9月7日(明治4年7月23日)に死去、46歳没。
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