第25代横綱 西ノ海 嘉治郎 ( にしのうみ かじろう ) タイム-ライン
基本情報
最高位 | 横綱 |
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本名 | 牧瀬 休八 → 近藤 休八 |
生年月日 | 明治13年2月6日 |
出身地 | 鹿児島県 |
身長 体重 | 185.0センチ 139.0キロ |
所属部屋 | 井筒 |
改名歴 |
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初土俵 | 明治33年一月 |
引退場所 | 大正7年五月 |
鹿児島県熊毛郡種子島(現・鹿児島県西之表市)出身。第25代横綱。 1900年1月場所で初土俵を踏む。四股名は出身地に因んで「種子ヶ島」とした。 1回の改名を経て、1906年5月場所で「錦洋与三郎」として新入幕を果たす。1908年11月に師匠の7代井筒が死去したことに伴い、関脇だった1909年6月場所より四股名を西ノ海灘右エ門へ改名し、同時期に二枚鑑札で8代井筒を襲名した。 1910年1月場所で大関へ昇進した。 1912年1月場所8日目、当時43連勝中だった太刀山峯右エ門を叩き込みで破った。太刀山峯右エ門はこの後56連勝を記録したため、この敗戦が無ければ100連勝が達成されていたかもしれないと言われている。この敗戦には太刀山は晩年までかなり拘りを見せていたようで、廃業後はこの一番について八百長を仄めかす発言をしている。ただし、この連勝中には休場も含まれている。 大関在位中の1914年1月場所より(2代)西ノ海嘉治郎を襲名した。 1916年1月場所は8勝1分1休の土つかずで史上最高齢での初優勝を果たし、翌月になって吉田司家から横綱免許を授与された。 しかし、この時ですでに晩年期に当たっており、在位5場所で皆勤は新横綱だった1916年5月場所のみに終わっている。全盛期には鳳谷五郎と熱戦を繰り広げていたが、1918年5月場所限りで現役引退。 |